世間一般に、良いとされる格言が実はアカンかもと思うことが多々あります。
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出来ないのではない、やるんだ
これを本気で信じている人がいたら、私からみて危険人物だと思っています。原則としては、お近づきになりたくないです。
不可能な理由を丁寧に説明しても「出来ない言い訳は聞きたくない」なんて態度に出る人ですね。「やれる方法を考えろ」と喚き散らします。
ジャンルを問わず、プロとしてありえないです。出来ないことを頑張るなんて、ズバリ無駄!。不可能なことだと、やれる方法はありません。
まず大事なのは、不可能と分かり切っていることを選別することなんです。通常、それは無意識レベルで出来ているはずだと思うのですが、その当たり前が分かっていない人がいるのです。
例1:来たボールを何でも振る打者(野球)
まともな打者でしたら、まずその見極めからやります。ボール球には手を出さないです。苦手なコースならストライクでも見送ります。(状況によってはカットしてファウルにしてしまいます)。
明らかなボール球でも何もかもヒットにする練習をする打者なんていないですし、そもそもバットを振ったらあかんのです。そういうのは、打てる方法はありません。
まあ、子供の草野球でしたらこんな感じかもしれませんね(笑)
成長していくにつれ、野球のプロ水準についていけない(私にはプロ野球の投手のボールをヒットにすることは不可能です)となれば、取り組み自体を辞めるのも考え方の1つでしょう。私でしたら、野球選手になりたいとは全く思いません。私自身について言うなら、そのためのあらゆる努力は愚かだと考えます。
例2:給油せずに車を運転する人
これはもう問答無用でバカなんですが、不可能でも頑張れば出来ると考えるタイプは本当にこれと似たことをやらかすんです。
笑い話じゃないです。かつて第二次世界大戦中の日本は、補給線を全く考えずに作戦を進めてしまって全滅に追い込んでしまった例が多々ありますよね。
ガソリンがなかったら車を動かすことは不可能なのですが、そういう不可能でもきっと何とかしようとしてしまうんですよね。
【補足】完全な電気自動車ならガソリンがなくても動きます。車ではなく自転車だったら(理論上は)人力でどこまでもいけますね。だけど、ガソリン車にそれを求めてはいけませんよね。
例3:病院に全く行っていない人(ひきこもり)が公的支援を受ける
この種の公的支援は、医師の診断書が必須です。診断書もない状況で、本人や家族がどれだけ辛さを訴えたところで「まずは専門医にご相談ください」と言われます。
専門医に相談することなく、この種の公的支援を受けたいと言われても、これはもう“不可能”なのです。……実際にいるんです、医者どころか誰にも相談したくないという人ですね。恥を晒すのと同様に考えるようなのですね。
専門医に相談をしないまま、つまり不可能と知りつつ進めようとすることが、そもそも無理なのです。
(普通は)ここまで愚かじゃない
極端な事例ばかりと感じたかもしれません。それはあなたが、不可能だと分かっているからです。可能か不可能かをきちんと選別するという当たり前のことが出来ているからこそなのです。
だから、不可能なことに取り組む姿勢が危険なのです。まずは不可能なことを選別すること。それを拒絶する言葉が冒頭「できないのではない、やるんだ」なのです。この言葉を発する人間は、間違いなく危険人物です。
実現可能性もそうですけど、採算性からも不可能か否かを判断するのがプロですよね。 不可能かどうかの見極めができない、しようとしない人間は、まあプロではないです。
そして私は、そんな人間を選別します(笑)
この記事は私が書きました
三重県出身。工場の派遣バイトの傍ら社会保険労務士の資格を取得。中途採用で地元商工会議所勤務を経て、労働局の窓口業務を通して様々な事例を経験。 非正規就労の悲哀と行政の仕組みを熟知しているシナジー効果を強みとし、皆様のサポートをいたします。