障害年金の等級が認められるほどの症状の重さですと、内容でいえばどうしても悪いものになります。出来上がった内容は、どうみても悪口ですし失礼な内容になります。

まあ、庇ったり正当化してしまうとその内容は、障害を表現したものとは言えないものにならざるをえません。

自分以外の何かの所為にするタイプは・・・・・・

障害年金を申請するには、自分は障害を持っていると書かなければなりません。実際に、障害をお持ちだからこそ障害年金の請求ができる状態といえます。「自分はまともだ!」 そう訴えて障害と認めてもらうのは・・・・・・。ないとまでは言いませんが、相当限定的だと思います。

精神の障害の申請が難しいのは、こういうところにあるのかなと感じています。そもそも、精神障害として申請をなさろうという気持ちがありえないでしょう。意外とその、外から見て障害だなと感じる人ほど障害年金を申請なさらない印象すらあります。

言い方が失礼だ!

あなたは精神障害だと表現するわけですから、お怒りはもっともです。そして、人として正常だと思います。・・・・・・精神の障害をお持ちだとは感じられません。障害等級の審査をする専門家も同様に感じると思います。・・・・・・すみません、サポートをお断りせざるをえません。

サポートできないというよりも、障害をお持ちでなければ障害年金を請求しても無意味ですよね。

怒りは、人間としては正常であるとも言えると思います。精神面で悩んでおられる方は、その怒りの気持ちすら湧き上がってこないように感じることが多々あります。

自分の尊厳を傷つけられたことへの怒り。・・・・・・正常だと思います。

怒りのスイッチが入ると、何に怒りを感じていたのか分からなくなった。・・・・・・ちょっと危険な気がします。もしかするとこれは「自分の思い通りにならないこと」への怒りなのでしょうか? ・・・・・・それであれば、正常だと思います。

怒りのスイッチが入ると、行動が止まらない。・・・・・・これは相当危険な気がします。もしかしたら、スイッチが入らないのが“鬱”で、ブレーキが利かないのが“ 躁 ”なのかもしれませんね。専門医ではないのでココロのメカニズムまでは全く分かりませんが、シンプルに「スイッチが入らないことも、ブレーキが利かないことも、非常に危険だ」というのは私にも分かります。

怒りに対して、謝罪はしてはいけないかもしれません

ココロの闇を表現するにあたっては怒りは特別な意味をもっていると感じています。どう表現すればいいのか全く分からないのですが、だからこそ様々な表現方法を用います。いろいろな形で表現してみせて、どれが最もあてはまっているのか確認する。正確な表現を大切にしています。

だけど、怒りを“煽る”のはダメだと思います。煽ると言う意味だけをいえば、湧き出てきた怒りを大きくすることを意味しますが、外からの力で何か別のものに変えたり、無理やり消し去ろうとする(謝罪)こともまた同じ意味だと思うのです。

そもそも「怒りは出すものではない」のかもしれないです。表現すべきであり、そのまま抱えているべきです。表現することで、怒りの姿形を明確にすることができて、抱えていられるものにする。・・・・・・すごく大事なことのように思います。

もしその「怒りを外に出したい」というのは・・・・・・。すみません、大迷惑です。周りに害を振りまくものであっては本当に困ります。

だけど、小説とかドキュメンタリーとか絵とか、様々な芸術作品として外に出して表現してみせることは、本当に素晴らしいと思います。外に出すにも、良い手段を確立したいものですよね。

障害年金も、良い表現方法の1つだと信じています

怒りをだすことと、表現すること。それは全く違います。

自分であれ誰かのものであれ、感情を出す前にまず“表現”にこだわる。それが出来れば、すごい人間になれるかななんて思っています。

この記事は私が書きました

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